ベルンシュタイン IV

ベルンシュタイン IV 動作の構築について(6)

脊髄の引き金機構

 脊髄のレベルは、人間における運動制御のレベルの中でおそらく最も古く最も低次のレベルに違いありません。第III章で取り上げた原始的な運動細胞は、さまざまな神経細胞の中でこのレベルに含まれるものの一種です。あらゆる運動インパルス、すなわち筋への収縮指令は脳の運動中枢に起源をもちますが、このインパルスは必ず脊髄の神経細胞を経由してから筋へ作用します。

 私たちの身体にある筋はそれぞれ、何万、何十万本もの細い線維束からできています。この束を筋単位と呼びます。それぞれの筋単位には一本の細い運動神経線維が伸びてきて、末端で枝分かれして筋単位の各線維に接合しています。運動神経線維は、特定の筋単位を興奮させる引き金になる脊髄の原始的な細胞に起源をもちます。幾千もの筋単位に対応して、運動神経線維と脊髄の中の引き金神経細胞もまた幾千となく存在します。これら幾千もの引き金細胞は身体に装備されたすべての筋に逐一対応した鍵盤のようなものを形成しています。ナの17411番という筋単位を賦活させるためには、やはり引き金細胞ナの17411番を賦活させる必要があります。

 すでに述べたように、脳からのインパルスは直接筋へ届くわけではありません。これらのインパルスは、脊髄の引き金細胞という鍵盤に働きかけるにすぎないのです。脳から伸びる神経線維はだかいに決して交わることなく脊髄にそって下行し、それぞれの分節まで伸びていきます。そこで枝分かれした終末は、脊髄細胞(鍵)のほうへ近づいていきます。脳の一つの「階層」つまり一つのレベルから出たインパルスは脊髄にそって駆け下り、その時点で賦活すべき筋単位の引き金網胞を興奮させます。

直接賦活経路ともいわれる錐体路も、脊髄の中で一度ニューロンを終えて、別のニューロンに繋ぎ変えて、末梢の筋へ神経が伸びていきます。

 はるか昔、下等な脊椎動物においては脊髄がかなりの程度独立していました。体表面からの感覚信号はただちに引き金細胞を作動させ、単純で単調な動作を引き起こしました。第III章ですでに指摘したように、巨大な爬虫類の脊髄は後肢につながる部分が特に肥大していました。これにより、ほとんどの動作を行うにあたって脳まで信号を伝える必要がなくなり、信号伝達時間が大幅に遅れるのを防ぐことができました。

 しかし、哺乳類や人間では状況が一変しました。健康であれば、脊髄はもはや独立した動作を行わなくなって久しいです。運動の制御はすべて脳の運動中枢へ移行しました。脊髄構造の基本原理である分節構造においては、それぞれの分節が椎骨ごとにある程度独立していたのですが、今やこの原理は廃れてしまいました。動物たちがすばやく、敏捷になり、ある場所から別の場所へと移るための移動運動が生活の中で重要な役割を果たすようになって以来、脊髄構造は役に立たない時代遅れの遺物となってしまいました。というのは、これらの動作は脳の最高次の指令のもと、すべての筋を統一的に、協応させて活動させることが必要だったからです。脊髄はその後、先ほど鍵盤にたとえたとおり単なるインパルス伝達器、すなわち引き金機構としての役割を徐々に果たすようになっていきました。この変遷期は人間において終結しました。

 以上が、私たちの身体の中で脊髄レベルが生き残れなかった理由である。脊髄は、なんらかのかたちでそれをいつまでも必要としていた最後のモヒカン族すなわち原始爬虫類と共に絶滅してしまったのです。

モヒカン族というのは、白人から土地を奪われたネイティブ・アメリカンの部族のことです。

脊髄は単なる引き金機構になった、ということのようです。

脳がないならば、もっとも単純な動きしかできません。

刺激がきたら反応する、というレベルです。

 私たちの中枢神経系の中で、現在もなお実際に生きのびている動作構築のレベルについて話を戻しましょう。それらについて、最も話家で最も古いレベルから、最も複雑で意味深い動作と行為を制御するレベルまで一つ一つ詳細に見ていきましょう。

まずはレベルAの詳細についてです。

この記事のまとめ

◆人間において、最も古い中枢神経である脊髄は、鍵盤にたとえたとおり単なるインパルス伝達器、すなわち引き金機構としての役割を徐々に果たすようになった。

◆人間において、脊髄は独立した動作を行わず、動作を制御しない。

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ベルンシュタイン IV 動作の構築について(5)

次の話は、古い動作に新しいワンランク上の動作ができるようになったとき、どうなるのか、という話です。

人間は脳も身体も未熟な状態で生まれてきます。

時間が経過するにしたがって、動物の進化を、運動面でも追体験していきます。

発達、と呼ばれるものです。

動作のリストと背景レベル

古い動作をXとします。

新しいワンランク上の動作をYとします。

 新しくて、より強力で、より巧みなレベルが現れると新たな運動の階層が形成されることになりますが、このとき、そこには新しいレベルの動作と本質的な対応を示す古い動作が数多く含まれています。ただし、これらの古い動作は、純粋に技術的かつ二次的ですが克服し難い理由によってどうしても利用できない状態にありました。たしかに、新しいレベルは以前のレベルに比べてより強力な感覚調整をもたらし、より正確な調整やより意味深い動作を可能にし、より能動的です。しかしながら、これらの調整をもってしても動作の制御に必要なあらゆることのすべてを賄い、すべての面から動作を保護することは不可能です。そこで、古いレベルXが登場し、複雑な動作の調整を行うのに足りない部分を補うことになります。

 当然のことですが、古いレベルは、最も基本的で動作全体の制御の根幹に関わるような重大な調整を担当できません。しかし、先頭に立つ基本的な調整には何も問題がなくとも、二次的な多くの要素が足りないために動作が不完全なものになることはよくあります(これから見ていくように、これは例外ではなくむしろ法則です)。その場合、低次レベルが協力して必要な補助を行います。このような動作では、高次のレベルYが主導的な立場にあり、動作の意味や成否を左右するような基本的かつきわめて重要な調整に対して責任を負います。このとき低次のレベルXはエンジンの潤滑油の役目を果たします。その調整によって、動作はより簡単に、よりなめらかに、よりすばやく、より捗り、より巧みになり、成功する確率が高くなります。つまり、これらの補助的な調整は、動作をおおもとから支える背景であるといえるでしょう。それゆえこのような場合には、下位のレベルXが動作に対して背景レベルの役割を担っているということにしましょう。

 少年が駆け出し、走りながら巧みに木からリンゴをもぎ取りました。リンゴをもぎ取る動作に要求される調整は、走ったり跳んだりする動作を制御するレベルを超えています。リンゴをもぎ取るという動作は、走ったり跳んだりするよりも高次の異なる脳構造によって制御されています。いっぽうで、リンゴが高い木の枝にぶら下がっており、助走して跳びつかなければ取れないときには、もぎ取るという動作を制御するレベルだけでは動作を成功させることができません。このときには、走って跳びつくという移動運動の助けを借りる必要があります。この例では、助走は、先ほど議論したような補助的あるいは技術的で低次の背景レベルを担うことになります。高次レベルは、いわば必要な調整のうち自前で賄えない補助的な動作の要素を低次レベルから借りてくることになります。

錐体路である「皮質脊髄路」は、四肢の繊細な、熟練した、巧みな運動の制御を支配する神経路、でした。

錐体路である「皮質脊髄路」はすべての筋のα運動ニューロンに結合しています。

そして、「皮質脊髄路」は屈筋の筋緊張を促通し、伸筋の筋緊張を抑制しています。

どちらかというと、伸筋の筋緊張を促通し、屈筋の筋緊張を抑制することは苦手、ということになると思います。

伸筋の活動を促通しているのは、錐体外路である前庭脊髄路と橋網様体脊髄路、といわれています。

脳から命令が下ってくる経路には、それぞれの得意分野がある、と私は捉えています。

 技術的な背景調整の役割は、円盤投げのような複雑な動作を行うときにはっきりします。投げる動作それ自体を行うレベルは、基本的には先はどの例で先導的な役割を担ったレベルと同じです。しかし、動作を正確に遂行して成功させるには、多くの補助的な調整が必要になります。まず、首や体幹の筋を不随意的に収縮させ、適正な緊張を保つことが必要になります。また、身体をばねのようにねじって勢いよく戻すためには、頭から足先にまで全身にわたる筋のシナジーが必要になります。この動作も移動運動を必要としますが、助走にひねりが加わるぶんだけ先はどの例よりも複雑になります。

 これらすべての背景調整は、最終的に行われる最も重要な投げ動作のために必要です。投げる動作は、ちょうどその他すべての下位動作の担ぐ御輿に乗せられる格好になります。このときそれぞれの背景レベルは、低次のレベルで構成される動作の調整を引き受けます。この例では、ほとんどすべてのレベルが裏方仕事に関わることになり、それらすべての間の協力的で調和した相互作用によって動作全体の主目的-すなわち円盤投げ-の結果は最大限に達します。背景レベルの上に乗った動作は、ちょうど馬にまたがる騎手のようなものです。

下位の担う、適正な緊張、というのはとても難しいですね。

ここをコントロールできれば、私たちの病気の痛みは随分和らぐことになります。

それは、運動の上手いヒトにみられる特徴でもあります。

私たちのような難病患者が運動が上手いかというと、そうではありません。

運動してスキルを磨けるほど健康ではないし、また痛みは緊張を増悪させます。

悪循環に陥ってしまうケースの方が多いと思います。

私の場合はそうでした。

 新しいレベルYが古いレベルXの上に現れると、新しいレベル自体が担当する動作のセツトに加えて、Y/Xとでもいうべきセットが一つ余分に生まれます。これは、レベルXが補助的な背景調整を担当する動作にあたります。さきほどの例を示した後では改めて強調するまでもないことですが、人間におけるそれぞれのレベルは、背景で支える技術的な要求を満たすために、あらゆる低次レベルをあらゆる組み合わせで利用することができます。

 先はどの例によって、各レベルが複雑でありながらも同時に調和のとれた協力関係を作り上げていることが明らかにされました。ただし、勘違いしてはなりません。協力関係は、自発的に現れるわけではないのです。新しいタイプの動作はどれもみな、そのような協力関係を作り上げるために念入りな準備作業を必要とします。この作業を練習と呼びます。練習の際には、ある動作を行うのに最もふさわしいいくつかの技術的な背景調整を同時に働かせたり、動作の背景レベルどうし、あるいは先導レベルと背景レベルとの相互の調節を行ったりします。低次レベルが背景で協力して動作の調整をするようになることを、動作の自動化と呼ぶことがあります。

さて、新しい脳が制御する運動の上位レベルと、古い脳が制御する下位レベルを、できるだけ身体に負担をかけずに協力させましょう、というのがこのブログの目指しているところです。

この記事のまとめ

◆新しいレベルは以前のレベルに比べてより強力な感覚調整をもたらし、より正確な調整やより意味深い動作を可能にし、より能動的である。

◆新しいレベルの調整をもってしても、動作の制御に必要なあらゆることのすべてを賄い、すべての面から動作を保護することは不可能である。

◆新しい運動を完成させるために、低次レベルが協力して必要な補助を行う。

◆動作を正確に遂行して成功させるには、多くの補助的な調整が必要になる。まず、首や体幹の筋を不随意的に収縮させ、適正な緊張を保つことが必要になる。頭から足先にまで全身にわたる筋のシナジーが必要になる。移動運動を必要とする場合、さらに難しくなる。

◆協力関係は、自発的に現れるわけではない。新しいタイプの動作はどれもみな、そのような協力関係を作り上げるために念入りな準備作業を必要とする。この作業を練習と呼ぶ。

◆低次レベルが背景で協力して動作の調整をするようになることを、動作の自動化と呼ぶ。

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ベルンシュタイン IV 動作の構築について(4)

豊かになる感覚的印象

 脳運動系の新たな飛躍は、何より今まで接近できなかった新たなクラスの運動課題への鍵を獲得したことでした。これまで見てきたように、爬虫類は多くの種類の陸上歩行や飛行を習得しています。また鳥類は、驚くほど複雑で洗練された運動本能を獲得するに至り、哺乳類は驚くほどのペースで運動能力を向上させ続け、結果として複雑な狩りや、子育てや、原始的な建築などが可能になりました。これらはみな、一つ一つ段階を踏んで獲得されていった能力ですが、土台は共通しています。つまり、どれも感覚による調整、その中でも主に調整の基盤となる感覚知覚の向上と改善の上に成り立っています。新しいクラスの調整は、常に脳の新しい解剖学的階層が支えています。この新しいレベルの構造は一式の新しい動作および新しい協応を以前のものにつけ加えます。

 この、綿密に織り合わさり、お互い密接に関係し合うすべての現象――新たなクラスの課題、新たなタイプの調整、新たな脳の階層、そしてそれらすべての結果としての新たな動作リスト――は、動作構築の新たな生理学的レベルと呼ばれています。

 まず第一に、新たな感覚作用がどのような方向へ、どのようにして発達し向上するのかを理解することにしましょう。この感覚作用は、より高次でより複雑な構築のレベルに属する新たな感覚調整の基盤となります。残念ながら、動物、中でもとりわけ最下等に属する動物がどのような感覚をもっているのか、そしてそれが私たちの感覚とどのくらい似通っているのかということについて、私たちはがれらに直接尋ねる術をもたないため、この点に関する私たちの知識ははなはだ不十分で初期的な状態にあるといわざるを得ません。(間接的であり、かつ常に用いることができるとは限らない方法には、ロシアの著名な科学者であるI・P・パブロフー派による条件反射の方法があります)。

 しかしながら、動作それ自体から感覚作用と印象の豊かさを知ることができます。動作の進化史上における新たな段階はそれぞれ、感覚器官の機能が向上する様子を鏡のように映し出しています。

 これはさまざまな研究によって明らかにされたことですが、進化の梯子上で最も低い位置にいる動物は、知覚がより弱く、限定的で、鈍感です。いっぼう、脳が高度に発達している動物の感覚器官によってもたらされる知覚は、著しく精密で、正確で、明瞭です。たとえば、七歳か八歳になる子供の視力自体は決して大人にひけをとることはないにもかかわらず、字を読む際には一般的な大きさの活字では小さすぎるため大きな活字にする必要があるのはなぜなのか、考えてみるとよいです。

絵本の文字は大きいです。

子どもの脳が機能的に成熟するのは14、15歳だからだと思います。

文字が小さいと読めない、というより読まない、と解釈すればよいのでしょうか。

いつから私たちは小さな文字を読むようになったのでしょうか。

新聞を読み始めたのはいつからでしょうか。

むかしは私もテレビ欄しかみてない時代がありました。

次にみるようになったのはスポーツ欄です。

いまはどっちもみない時が多いですね。

そういえば小学校低学年の教科書の文字は大きかったですね。

 第二に、高次の脳と低次の脳では、末梢の感覚器官から伝えられた情報を分類し処理する方法が大きく異なります。高度に発達した脳では、外的な印象をそのまま受け入れるわけではなく、それらを処理し、互いに関連させ、すばやくつき合わせ、熟練した方法で多くの情報をもたらす慎重な評価を行います。ベテランの医者が視力は弱っていても長いあいだ見過ごされてきた患者の病気を一目で診断できるのに対し、青年の医学生が若く鋭敏な目をもっていても一目では見抜けないのと同じです。確かに、感覚作用の得た印象の意味を見抜くことはまったく無意識的に行われ、ほとんど不随意的です。このことを意味する特別な言葉として直感という用語がありますが、名前をつけただけでは何も説明したことになりません。

 この種の処理を経た後で、外界の知覚は確実に何かを失っています。つまり、知覚は新鮮さに欠け、直接的でなく、より図式的で、ときに偏りが生じることもあります。その一方で、知覚は処理によって、知覚された出来事の基本的な意味と本質を強調し、外界を詳細に認識することができます。

 第三に、感覚知覚の発達具合は、調整すなわち運動の協応と最も密接に結びついた知覚の側面に最もよく反映されます。より発達した運動協応のレベルによる動作の制御は、特定の感覚器官から直接送られてきた生の直接的な印象が占める割合が少ないという特徴をもちます。直接的な印象は、異なる感覚器官からの感覚がそれぞれ見分けもつかないほどに融合した全体的な感覚のかたまりに置き換えられます。

高次の脳はどちらかというと、目に映るそのままではなくて、間接的で、本質を見抜くような知覚の仕方をいるようです。

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そして、目は錯覚という言葉があるように、そのものを見る、ということから離れることもありえます。

 最後に、高度に発達した脳による印象と知覚は、もう一つ興味深い特性を示しています。より能動的(アクティブ)であるという特性です。

印象を取り込む際の能動的な性質は、感覚器官が自らのもてるすべての能力や技を駆使しなければならないときに最も明確になります。

これはあまり知られていないことですが、人間の眼球運動は、人間よりも視力の良い動物の眼球運動より多様で、協応性についてもより洗練されています。感覚器官がより活動的になると、大昔からあった、横紋筋や感覚調整の出現する以前の原始的な機能が新しい形式で復活することになります。しかし、最新式の知覚では感覚調整との関係がずっと密接になっており、古い知覚とは形式がまったく異なります。ここに、感覚信号(感覚調整)が動作を改変し方向づけるいっぽうで、動作が感覚器官からの知覚を改変し、より深めるという、分かち難くきわめて複雑に絡みあった相互作用を見ることができます。

ちょっと書き抜いておきたいことは、「感覚器官がより活動的になると、大昔からあった、横紋筋や感覚調整の出現する以前の原始的な機能が新しい形式で復活することになる」です。

この記事のまとめ

◆ヒトは機能的にも脳が成熟しないと、精密で、正確で、明瞭な知覚とはならない。

◆感覚作用の得た印象の意味を見抜くことはまったく無意識的に行われる。

◆発達した運動協応のレベルによる動作の制御は、特定の感覚器官から直接送られてきた生の直接的な印象が占める割合が少ない。

◆高度に発達した脳では、外的な印象をそのまま受け入れない。

◆高次の脳の知覚は新鮮さに欠け、直接的でなく、より図式的で、ときに偏りが生じることもある一方で、知覚は処理によって、知覚された出来事の基本的な意味と本質を強調し、外界を詳細に認識することができる。

◆低次の脳の知覚である直接的な印象は、異なる感覚器官からの感覚がそれぞれ見分けもつかないほどに融合した全体的な感覚のかたまりに置き換えられる。

◆感覚器官がより活動的になると、大昔からあった、横紋筋や感覚調整の出現する以前の原始的な機能が新しい形式で復活することになる。

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ベルンシュタイン IV 動作の構築について(3)

ここはちょっとしたまとめです。

新しい課題と脳の発達

 脳がどのようにして次第に複雑になってきたかという問題については、すでに動作の歴史に関するエッセイで見てきました。生存闘争のもとでは、運動の「武装」を徐々に強固なものにしていかなければならなりませんでした。同時に、動物が運動によって解決すべき課題はより複雑で多様になってきました。運動によって解決すべき課題(運動への要求)が難しくなると、どうしてもよりすばやく、より正確に、そしてより巧みに動作を行わなければならなくなります。長きにわたる進化の過程で脳とその付属器官が発達しだのは、このためです。状況は最近になって比較的短期間のうちに変化したのかもしれません。人間においては、大脳が絶対的な支配者の地位についているため、動作自体は重要な役割を失って目立だなくなり、かわりに労働や知性の要求が前面に出てくるようになりました。

 生存闘争が激しくなると、動物が現在もっている以上の能力を要求するような運動課題が次第に増えていきました。このため、時が経つにつれ、必然的に課題を解決することが難しくなっていきました。動物は、生き残るために、より複雑な新しい運動を行わざるを得なくなったのです。新たな要求に対応するためには、乗り越えるべき大きな壁がありました。それは、新たな感覚調整を習得することです。

 第II章では、感覚による調整が身体器官の制御をするための基礎となることを詳細に説明しました。身体の器官が、脳の指令にしたがって要求されたことを正確に行うためには、脳は動作を持続的に制御する必要があります。このためには、感覚器官(第III章では受容器と呼びました)が、動作の進行に関する信号を絶えず脳へ送り続けなければなりません。そうすることで、脳は遅れることなく、必要な変更(調整)を施すことができます。自由度がゼロならば動さようがなく、自由度が一しかない場合には動作は固定した変更のできない経路をたどるしかありませんが、たった一つの冗長な自由度があるだけで、つまり自由度が一より多くなるだけで動作選択の自由が無限に広がります。つまり動作を制御するためには、適切な感覚調整によってじゃじゃ馬のごとき冗長な自由度に手綱と鞍をとりつける必要があるわけです。当然のことながら、受容器はまずもって動作に必要不可欠な情報を脳に伝えることができなければなりません。誤った情報が伝えられれば、動作の協応性が乱れるばかりか動作全体が支離滅裂になりかねません。たとえば、爬虫類は前肢を歩行(移動)の目的以外に利用することができません。一方、哺乳類は、多様な動作のために前肢を利用することができます。イヌやオオカミが行うように食物の採取をしたり、ネコのように相手の顔を引っ掻いたり、シカのように雪を掘ったり、リスのように物をもったり、意味的にも多様性の面から見てもより複雑な動作を行うことができます。爬虫類はこのような微妙な差異を知覚することがなく、そしてそれ以上に重要なことには、異なる感覚(触覚、筋-関節感覚、視覚など)を組み合わせて一つにする(統合する)ことができません。哺乳類が行うような複雑な動作にはこのような統合が必要となります。同様に、六ヵ月の赤ん坊の感覚調整は大人の域にはほど遠いので、見ていて欲しいと思ったものでも掴むことができません。一生懸命ではあるが報われないあがきぶりを見れば大人との差異は明白です。赤ん坊のやることなすことがみな空回りしてしまうのは、異なる感覚情報をうまく組み合わせることができないからです。これができるから、私たち大人は目の前にある対象をさっと掴むことができるのです。

 これも第Ⅲ章ですでにみてきたことですが、脊椎動物の脳はそれぞれの段階的で飛躍的に発達し、そのつど質的に豊かになっていきました。発達過程にはこのような飛躍あるいは決定的瞬間があったわけですが、これは、新たなクラスの動作習得という積年の課題がうまく解決されたことを意味します。その結果、中枢神経系は新たなクラスの感覚調整を獲得し、新しい、差し迫った課題を適切に解決できるようになりました。新たなクラスという用語は、感覚作用における直接的で新しい特性か、あるいは感覚の処理、比較、評価、統合に関する新たな方法を意味します。これら新しいクラスの感覚調整が、これに対応する新たな脳の設備を必要とすることは自明でしょう。当然、脳の構成も更新されます。この更新は徐々に起こるのではなく、大規模な質的変化を件う急激な飛躍を通して一気呵成に進みます。発達におけるこのような飛躍は、脳という建物に新しい階、つまり新しい運動系を次々につけ加えることになりました。

 脳の発達は、全体を通してみるとちょうど建物に新しくより上の階が増築されていく歴史にたとえることができます。人間の脳は、遠い昔に家主のささやかな願望のもと建てられた平屋づくりのマイホームに似ています。次世代の住人はより多くを望むようになります。そのころには家計も豊かになり流行も変化したため、もともとの家に二階を建て増します。彼らは台所や洗面所を一階に残して、居間を二階に移します。その息子はいっそう裕福になり、両親より野心的になります。息子は古風な父親が生涯を過ごしたベッドルームや事務所やチャペルつきの二階部屋に飽きたらなくなり、書斎やアトリエが欲しくなります。息子は二階の上に三階を建て増しましたが、旧い一、二階のデザインや設備はあまり変えず、新しい生活や仕事の秩序にあわせてほんのわずかに調整して維持するだけでした。これは容易に想像のつくことですが、各世代の所有者が一階から順に六階や七階まで増築していった結果、家は建築的設計に欠け、芸術的な統一性のないものになってしまいました。人間の脳も事情は同じです。少なくとも運動制御に関する鎖野はきわめて複雑化したため、安定せず、故障しやすくなってしまいました。人間の運動制御の特徴については、その多くが歴史的な理由から説明され、正当化される必要があります。神経疾患の担当部署で働いた経験のある人なら誰しも、一見鬱病に見える症状がいかに多種多様な脳障害から引き起こされるかを、そしてそれがいかに簡単に引き起こされるかをおぼえているでしょう

ここでは、脳の異なる部位の働きをお互いにうまく適合させるためには膨大な作業が必要になることを指摘するにとどめておきます。異なる世代における、何百年にも及ぶ異なる部位の適応の結果、病気や障害を被らなければ、という条件で、人間の脳は高性能で生産的な器官となりました。

芸術は、人間の苦悩から昇華されたもの、とか言ったりします。

芸術的に人間の脳が統一されていたら、果たして芸術的だ!と感じられるものをヒトは生み出せたのでしょうか?

いわゆるクオリア、覚醒感覚、生々しい感覚に訴えるものですね。

クオリアが生きる根源から湧き上がってくるものとしたら、その部分に訴えるもの、なのでしょう。

おそらく、人間が動物的な部分を持っていなかったら、そういうところに訴えかけるものはできないんじゃないかな、と思います。 

この記事のまとめ

◆身体の器官が、脳の指令にしたがって要求されたことを正確に行うためには、脳は動作を持続的に制御する必要がある。

◆感覚器官(受容器)が、動作の進行に関する信号を絶えず脳へ送り続けなければならない。そうすることで、脳は遅れることなく、必要な変更(調整)を施す。

◆自由度がゼロならば動さようがなく、自由度が一しかない場合には動作は固定した変更のできない経路をたどるしかないが、たった一つの冗長な自由度があるだけで、つまり自由度が一より多くなるだけで動作選択の自由が無限に広がる。

◆動作を制御するためには、適切な感覚調整によってじゃじゃ馬のごとき冗長な自由度に手綱と鞍をとりつける必要がある。

◆受容器はまずもって動作に必要不可欠な情報を脳に伝えることができなければならない。

◆誤った情報が伝えられれば、動作の協応性が乱れるばかりか動作全体が支離滅裂になりかねない。

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ベルンシュタイン IV 動作の構築について(2)

ヒトの赤ちゃんは、すぐに立ち上がったりできません。

なぜかというと、成熟しきる前に生まれてくるからです。

同じように、脳も未成熟な状態で生まれてきます。

生理的早産の赤ん坊

 出生したばかりの人間において、中枢神経系に不完全な部分が多いことに疑いはありません。その構造上の欠陥がすべて解決されて、ちょうど摘み取られた青いトマトが日当たりの良いところにおかれて赤くなるように完全に成熟するまでには二年以上かかります。脳の成熟はとても遅いです。はっきり定められた特定の時期に順序よくシステムが活性化され、子供の運動能力は豊かになっていきます。

 自然界における生物発生の慣習が示すのは、祖先のたどってきた進化系統的発達の主要な段階のすべてが、その種の個体的発達の初期に要約されたかたちで繰り返されるということです。器官の形成と発達の過程において、個体は古の進化の記憶を、わずかの期間に自分自身でたどることによって回想します。たとえば、遠い昔、私たちの祖先は現在の魚類のようにえらで呼吸していました。しかし現在でも、胎児には妊娠から数週間はえらがついています。それは後に、舌下骨や中耳にある聴骨、耳から鼻咽腔へ通じるエウスターキオ管などをもつ他の器官へと変化していきます。生物発生の法則は運動中枢組織や動作そのものにもぴたりとあてはまります。

 新生児の脳は動物界での進化と同じ順番で、一段階ずつ成熟していきます。新生児は、淡蒼球(レベルB)が完成しようとするころに生まれます。爬虫類ではここが成長の上限です。このため、新生児は爬虫類が可能な動作以上のことはできません。しかし、誕生の時点でより古いレベルAが成熟しきっていないことから、事態はより複雑になります。レベルAは首や体幹の動作や姿勢(後ほど触れる)の制御を行うところですが、十分に機能するよう成熟するには妊娠期間が短すぎるのです。このため新生児は、頭と身体を支える中心的構造である首と体幹を制御することができず、さらにこれをダイナミックに支える手足も使うことができません。新生児は力なく仰向けに横たわり、その体幹は重く動さがなく、手足は何の意味もなくむやみにばたばた動くだけです。もう一つ話を複雑にする要因があります。レベルBは脊髄の運動細胞ヘインパルスを送ることができ、それを通して筋へとインパルスを送ることができますが、そのためには下位のレベルAの神経核がかならずあいだに入るということです。これによりレベルBは、レベルAが運動インパルスを通すことができるように成熟するまで足止めを食います。赤ん坊がレベルBに伴うシナジー、つまり手足を協応させた動作ができないのはこのためです。実際のところ、生まれてから二、三ヵ月までの赤ん坊にはいかなる運動協応も備わっていません。三ヵ月を過ぎるころになってやっと、協応した眼球運動や寝返りなどの活動ができるようになります。半年も経つと、脳の二つのレベルがほぼ同時に機能しはじめます。つまり、最低次のレベルAによって体幹が強化されて協応するようになり、線条体(レベルC1)によって座ったり、脚で立ったり、その後に這ったり(人間の祖先が四本足であったことの生物発生学的な名残りがここにも現れています)、そして最終的には歩いたり、走ったりできるようになります。

具体的に、淡蒼球(レベルB)までが完成してくるくらい、と言われると、赤ちゃんがどういう状態なのかがイメージがつきやすいのではないか、と思います。

淡蒼球といえば、魚からカエルですね。

生まれたての赤ちゃんは魚やカエルくらいの動きしかできません。

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 錐体路運動系の発達はさらに長くかかります。皮質の感覚野が働きはじめるほうがずっと早いです。赤ん坊は、以前に見た対象を再認し、話しかけられた言葉を理解し、食べ物の好き嫌いを言い出しはじめます。錐体路運節系は、生まれて半年ほど経った後に、線条体に続いて徐々にその姿を現しはじめます。赤ん坊がものをつかんだり、何かを置いたり動かしたり、指で指し示したりするようになる背後には、錐体路運動系の発達があります。ときを同じくして、意味のある発話がはじまります。それらの発話はふつう要求や命令です(「ちょうだい」など)。手の動きはまだとても不正確で、たいてい目標から大きく外れてしまいます。しかし、この時期になるまでは掴もうとしたり投げようとしたりすることすらありません。そもそも、そういった動作を行うための仕掛けがまだないのです。六ヵ月以降の乳児と六ヵ月以前の乳児の違いは、自転車をもっていてどうにか乗れる人と、そもそも自転車自体をもっていない人の違いと同じようなものです。

まず大脳皮質は運動野ではなく、感覚野が働き始めます。

赤ちゃんはいろんな反射で体を動かします。

これを発達段階とかいったりします。

手は錐体路が発達しないとだめなので、赤ちゃんは握るのが全部の指で掴む、といった下手な握り方しかできません。

言葉も話せませんね。

舌足らず、とかいいますが、舌の動きも錐体路でしたね。

 赤ん坊が成長するにつれ、徐々に錐体路運動糸が進化しますが、このとき高次の皮質レベルも姿を現し、成熟しはじめます。皮質の行為システム(レベルD)は、二歳になってから形成されます(第V章で述べます)。皮質システムによって、子供はまず、つたない動きではあるがとにかく物体を操作できるようになります。たとえばスプーンを使って食べたり、箱を開けたり、クレヨンで絵を描いたり、靴下を脱いだりすることができるようになります。次に、皮質システムによって会話の発達段階が一つ上がり、対象を命名するようになります。この段階は、子供の自我発達にむけての大きな一歩と対応しています。まもなく、子供は自分というものを認識するようになり、「ンマ、ンマ」というはっきりしない言葉を「おなかすいた」という堂々たる言葉で置き換えるようになります。

 脳は、解剖学的に見れば二年ほどで成熟してしまいます。しかし、全体的な運動はまだまだ発達途上にあります。一四から一五歳になるまでは、完全な動作の制御ができるとはいえません。この頃までの一〇代の少年少女は、さまざまな面で不器用であり、持久力が足らず、子供じみた学を書いたりします。このようなことから、脳の各部位が全体として調和のとれた働きをする(これを生理学者は機能的成熟という)ようになるのは、解剖学的に成熟してからずっと後になることが分かります。

この記事のまとめ

◆ヒトの脳が解剖学的に成熟するのは生まれてから2年程度である。

◆祖先のたどってきた進化系統的発達の主要な段階のすべてが、その種の個体的発達の初期に要約されたかたちで繰り返される。器官の形成と発達の過程において、個体は古の進化の記憶を、わずかの期間に自分自身でたどることによって回想する。

◆生まれたての赤ん坊の脳は淡蒼球(レベルB)が完成しようとするあたりで生まれる。

◆生まれたての赤ん坊の脳は赤核(レベルA)が完成していない。レベルBの運動インパルスはレベルAを経由する必要があるため、レベルAが成熟するまで足止めをくう。

◆ヒトの脳が機能的に成熟するのは14、15歳程度である。

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ベルンシュタイン IV 動作の構築について(1)

ベルンシュタインに戻りましょう。

私たちの脳は古いものから順々に新しいものが上に積み重ねられてきました。

制御するための新しい脳が積み重ねられるにしたがって、新しい動作ができるようになってきました。

脳の摩天楼

 はじめに、人間の脳は複数階建ての建築物であり、それぞれの階は下から順番に出現したことは事実です。成人の脳のうち階層の低い部分は、カエルの淡蒼球に相当する神経核から構成されています。カエルではこれが最高次の脳組織です(レベルAより低次の補助中枢についてはここでは触れず、第V章で述べることにします)。これらの神経核は線条体レベルからの指令に従います。線条体は爬虫類や鳥における運動構造を制御しているものです。より高次のレベルには、大脳皮質の錐体路運節系があります。この組織が出現したのは最近になってからのことで、哺乳類にしか存在しません。哺乳類の脳皮質は他の古い脳組織に比べると大きく異なるように見えます。ちょうど一枚の丈夫なシートをしわくちやにしたような感じで、あちこち折れ曲がったり、溝になったりしています。

これらのしわは、皮質ができるだけ大きくなろうとした際に、頭蓋骨に押しとどめられた結果できたものです。もし魔法のアイロンで皮質の溝や折れ曲がりを延ばしたら、大きなマントのような、大脳全体を包む二枚の均質な広い層になるでしょう(脳解剖学が芽生えて間もないころ、皮質は脳外套、すなわち「脳のマント」と呼ばれていました)。しかしながら、脳皮質の内部構造の歴史的な発展過程を考えてみると、皮質はそれほど均一なものではないことが分かります。最も古い(感覚)皮質の原基は爬虫類の時代に現れました。人類の脳でも、これらの原基は昔ながらの構造と機能を備えたまま存続しています。その後、鳥類や哺乳類において、古い部位の近辺に新たな部位がモザイク状にあらわれました。新たな部位はそれぞれ新たな機能の可能性をもたらし、それぞれが人間の脳において「専門分野」をもつに至りました。これらは一見同じように見えるため、顕微鏡を通さなければ違いは分かりません。これらの部位は皮質が発達していく過程で隣りあって現れ、その境目は互いに癒合しています。ただし、古い脳構造がそうであったように、若い組織が古い組織を制御しています。哺乳類が進化しているときにはすでに錐体路運動系が現れていましたが、少なくともあと二つの運動系が脳に現れはじめました。これらのシステムは純粋に皮質上のものであり、古い錐体外路における連続的階層がたがいに制御し合うのと同じやり方で錐体路運動系を制御しています。最もレベルが高く、最も新しいこれらのシステムは人類の脳にしか見られません。このシステムのおかげで、人間は他のすべての生物よりも有利な立場に立つことができました。これらいくつかの階層は、一層の皮質に隠れているが、実際には錐体外路運動系の多重階層構造の上に高くそびえ、共に巨大な脳の摩天楼を構成しています。多重階層をなす構築様式の機能と意味については後に触れます。

Jp35

最初、人間はカエルなんかと同じように、横穴を掘ったりして暮らしていました。

その次は柱を立てたり、軽い木材を組み立てたりして、すぐに造れる家を建てるようになりました。

その次は木材や石材を組み上げて、風にも強い家を作るようになりました。

その次はレンガを焼いたりして、材料を生み出すようになり、だんだんと鉄骨を入れたり、コンクリートなどでもっと立派な家ができるようになりました。

いまでは街にはビルがにょきにょきと生え、海中や宇宙にも滞在場所を造るようになりました。

このネット空間も、仮想的な不動産のようなもの、と言えるかもしれません。

ホームページとか言ったりしますね。

サイトというのはsite、情報がおいてある「場所」のことです。

この記事のまとめ

◆人間の脳は複数階建ての建築物であり、錐体外路運動系の多重階層構造の上に、人間しかできない動作が高くそびえている。

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