ベルンシュタイン II

ベルンシュタイン II 運動の制御について(8)

筋-関節感覚とその補助

さて、ここまで私たちの身体は実は“動かない”のではなく、あまりにも“動きすぎる”構造を持っているため、そのコントロール(制御)が難しいことがだんだんとみえてきたと思います。

そして、自由に動いてしまうものをコントロールしていくためには、いつもそれが目的とする動作をしているかをモニター(監視)することで、きちんと動ける、ということをベルンシュタインは述べています。

そのモニターとしての感覚として、筋-関節感覚が一番重要です、というのが次のお話です。

筋-関節感覚は、ほとんどの運動を制御する上で肝心要の感覚です。この種の感覚をもつ器官はさまざまありますが、生理学的にはそれらを総称して自己受容器系と呼びます(自己受容感覚とは「それ自体の感覚」という意味で、自分の身体についての感覚をいう)。(注釈:また、固有感覚とも言います。なんで「固有」感覚というなんでしょうか。調べきれてません)。自己受容器の感覚終末は筋線維や、腱や、関節胞にまんべんなく分散しています。これらの末端(受容器と呼ばれる)は、身体各部の位置や、関節角度や、筋力などの情報を脳へと伝えます。

ちょっと伸びをしてみましょう。

「伸びてるー」という感覚が、皮膚や筋肉から伝わってくると思います。

それが自己受容感覚(固有感覚)です。

片側の肘を90°ほどまげてみましょう。

次に目を閉じて同じくらい曲げてみましょう。

この同じくらいに調整できるのは、自己受容感覚(固有感覚)が脳に「これくらい曲がっているよ」という情報を感じて伝えているからです。

自己受容器系を統括しているのは、空間内での頭の位置や動作を感じる器官である前庭器官、つまり側頭骨の奥深く(左右の内耳の中)にある耳の迷路です。この系からの信号はみな、空間での身体の位置および身体各部の位置と動作に関する情報を余すところなく脳へ伝えます。自己受容感覚は感覚調整を行う上で第一バイオリンの役割を担うことになります。

前庭器官には三半規管とよばれるセンサーがあります。

ちょうどx軸、y軸、z軸に対応しています。

前庭は頭の位置によって敏感に反応します。

転びそうになった時に頭の位置が急激に変わって、足が自然と出るのは、この前庭が働いているからです。

前に挙げた例は、自己受容器系が感覚を制御する唯一の系ではないことを示しています。どのタイプの感覚でも(おそらくは、口の中にひっそりと暮らしている味覚でさえ)、自己受容器と同じ役割を果たしえます。中枢神経系は、単に都合のよいほうの感覚を用いて決定を下すだけです。ある感覚器官が、そのときの動作に最も適した感覚調整のレパートリーをもっているとすれば、その器官が動員されて調整が行われます。このように、すべての種類の感覚はしばしば、(程度の差こそあれ)広い機能的な意味において自己受容器の役割を果たします。

運動の調整の中でもっとも直接的な感覚は筋-関節感覚ですが、それに次ぐのは視覚です。

外部情報の7割が視覚とも言われていますから、当然といえるでしょう。

視覚は人間の最も重要な感覚器です。視覚はきわめて多様な動作の制御に参加します。たとえば、多くの正確な手の動作や、労働にかかわる動作や、狙いを定めて投げる動作(たとえば的あて、射撃、サッカー、テニス)などです。

視覚によって、平衡感覚に障害が出ている人でもある程度代償できます。

代償とは同じ働きができなくても、補って他の働きで目的とすることができる、と捉えて下さい。

筋-関節感覚は内部の感覚ですね。

うちと外ではやはり違います。

ベルンシュタインが「水泳やサイクリングの「秘訣」は、特殊な身体動作にあるのはなく、特殊な感覚作用と調整にある。この事実を知ればもう、運動の秘訣がなぜお手本で教えられないか(どんな動作でもお手本を見せることはできる)、なぜ一生のあいだ決して忘れることができないのか説明できるだろう。」といった理由がみえてきたかもしれません。

外から同じような動きにみえても、中身では違う感覚で動いている=つまり、違う運動の調節がされているとするなら、運動の目的が違ってくる、ということになります。

ちなみに、姿勢の制御の情報は、

(1)下肢の圧受容体
(2)前庭系
(3)目
(4)首と脊椎の固有受容体
から送られてきます。主にここからの情報をもとにして、姿勢を調整するようにプログラムされている、といわれています。

特に固有受容器が多い部位は、足底部(足の裏)、頚部筋(首にある筋肉)、仙腸関節部(骨盤は3つの骨で構成されています。両側が腸骨、真ん中が仙骨です。仙骨の上に脊柱(腰椎)、下に尾骨があります)の3ヶ所とされています。

なんとなく重要なポイントが絞られてきましたね。

腰、目、足の裏、首。
大事でないカラダの部分なんてありませんが、こと姿勢に関してみると、このあたりに秘密がありそうです。

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この記事のまとめ
◆運動する器官(運動器)で一番重要な感覚は、自己受容感覚(固有感覚)である。
◆運動器(筋-関節系)で固有感覚は唯一の感覚ではなく、視覚などの感覚がこれを補佐している。
◆固有感覚は内部の感覚である。
◆固有受容器が多いのは、足底部、頚部の筋肉、仙腸関節である。

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ベルンシュタイン II 運動の制御について(7)

ここでのお話は、簡単に言えば感覚がうまく働かないとどうなるのか、という話です。

運動の協応とは何か?

協応とは、運動器官の自由度を克服すること、すなわち運動器官を制御可能なシステムに転換することです。

骨格筋という運動器の制御を可能にするために自然が用いている大原則を定義するのは難しいことではありません。それは現代の技術がまねをしてさまざまなところで成功している原理、すなわち感覚器を用いた運動制御の原理です。

随意動作の実行は、一から十までの身体の運動システムに任されていると通常一般には思われています。つまり、運動を担当するのは、直接動作を引き起こす筋や、運動インパルスを脳や脊髄から筋へ伝達する運動神経や、運動インパルスの指令を発する脳の運動中枢だと思われています。

しかし実際には、運動を実行しているあいだ、身体の感覚系は運動系に負けず劣らず忙しいです。調整のための信号が継続的に感覚神経を通って脳に伝達されるからです。この信号は、触覚や、視覚や、筋-関節感覚や、前庭神経(内耳から平衡感覚に関する信号が伝えられる)などあらゆる感覚を含んでおり、運動がはじまったが、計画にそって実行されているか、調整が必要かどうか脳に伝えられます。

運動をしているあいだ、収縮している筋はいくつかの感覚機構を興奮させ、運動に関する感覚は即座に脳へと送られます。脳から筋へ向かうそれぞれの運動インパルスの発火は、感覚器から脳へと伝わるインパルスの発火を直接引き起こします。これにより、入力された感覚信号は適切な動作調整のための信号に変換されます。

すなわち、感覚信号は新しい運動インパルスを生じさせ、この調整されたインパルスが新たに加わり、脳から適切な筋へとすばやく伝わるのです。この、閉じた循環的なプロセスは、生理学の用語で反射ループと名づけられています。ループのどこかが損傷しても運動は全体的に乱れてしまいます。このことは、神経系の病気に関する豊富な資料により実証されているとおりです。

インパルスというのは、神経を通ってくる電気的な信号です。

ヒトの身体の中には、いろいろな化学的な性質を持った物質が存在します。

その中に電気(電荷)を帯びたものが存在します。

これらが薄い細胞の膜を通り抜けたりするときに、持っている電気の出し入れをします。

そういったことで電気が発生します(イオンとかの話になりますが、あまりここでは必要がないのでこれくらいで。

インパルスは発火する、とか表現します。

電気が走る、という意味でとらえて構わないと思います。

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現在は再生医療という分野が急速に発展しています。

中枢神経が損傷を受けた方は、巧みな運動以前に感覚の経路が損傷を受けてしまっているため、それを取り戻す治療がより優先されると思います。

ここで取り上げていくセラピーが有効かどうかは分かりません。

(まったく使えないということはないと思いますが。)

感覚がどのように運動に影響を及ぼすかについて、ベルンシュタインは身近な例を挙げています。

 mという字をノートに1行ずらっと目を開けて書くときと、目を瞑って書くときには対して違いはありません。

 今度は○に十字を1行書いていくと、目を瞑って視覚的な調整ができなくなった時に大きく乱れます。

鏡をみてネクタイを締める時、つじつまの合わない視覚制御が干渉すると、逆に締めにくく感じます。練習を積んだスキルを崩壊させてしまうからです。

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視覚はこのようにスキルの高さと調整に深く関わってきます。

 冷たい手で正確な動きをすることは難しいです。問題となるのは筋のそのものではありません。というのは、指を制御する筋の多くが肘に近い前腕にあります。握力計で測定すると、冷たい手でも暖かい手でも握力計を握る強さは変わりません。運動が乱れるのは、手と指の筋-関節感覚と触覚の感受性が弱まるからです。

冬に朝起きれないのは、冷たい、寒いという感覚が「痛い」という感覚に変わるからだ、と最近思っているのですが、どうでしょうか?

痛いのは私はキライです。

ヒトにとって暑いのと寒いのはどちらがマズイかというと、寒い方だと効いた事があります。

酔っ払って道路で寝てて死ぬのはだいたい冬です。

この記事のまとめ

◆協応とは、運動器官の自由度を克服すること、すなわち運動器官を制御可能なシステムに転換することである。

◆骨格筋という運動器の制御を可能にするためには、感覚器を用いた運動制御の原理が適用できる。

◆感覚の伝わり方が乱れると運動も乱れる。

◆運動のスキルの高さによって、視覚調整がどれくらい必要なのかが変わる。

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ベルンシュタイン II 運動の制御について(6)

筋の弾性による問題

さて、第3の要素「筋の弾性による問題」です。

筋肉は触って分かるように、プニプニとしていて弾力性があります。

骨と骨との間にある一般的にイメージされる筋肉を、横紋筋と呼びます。

これは、顕微鏡でみると横にしましま模様がみえることからそう呼ばれています。

この柔らかくて縮むものが、車のエンジンにあたる働きをするとすると、どんな問題が出てくるのでしょうか。

人間のエンジンにあたる横紋筋の基本的な特徴について

筋肉のそれぞれの線維は筋につながる神経の影響を受けて収縮し、(二〇~三〇%ほど)短くなります。同時に硬さも増し、伸張に対する抵抗が大きくなります。

すべての骨格筋はこのような何百もの筋線維から成り立っており、それぞれの繊維は基本的なエンジンとなります。たとえば、上腕二頭筋のような大きなひとまとまりの筋は、並列シリンダーを備えた多弁式の機械と考えることができます。身体による随意運動や作業活動を行う唯一の手段となるのが、弾性を備え収縮するこの特別な線維です。これらは身体の可動部を縦横無尽に連絡し、全体として何百本何千本にも達します。

エンジンとして横紋筋を使うときの主要な問題は、それが骨を引っ張る(筋線維は柔らかいため押すことはできない)ということです。しかも引く力は不安定で、正確ではなく、そのうえ弾性をもつということです。

筋線維が仕事をする方向はたった一つだけ、すなわち押すことではなく引くだけという事実はそれほど不幸なことではありません。

機械においては、最小限二つのシリンダーを、隣り合わせに並べることによってこの不利を克服できます。一つが押すとき、もう一つは受動的にもとの場所に戻るのである。人間の関節も似たような仕掛けになっている。拮抗筋と呼ばれる、それぞれ逆方向に作用する一対の筋により、それぞれの方向への動き(さきほどこれを自由度と呼ぶことに決めた)が制御されている。たとえば、肘関節の屈筋と伸筋、指の屈筋と伸筋などがその例です。筋の一つがその方向に骨を引っ張るとき、他方の筋は受動的に伸張し、これによってどちらの方向にも関節を動かすことができるのです。このしくみは、筋力による弾性抵抗があるため、より複雑になります。

弾性要素が存在するときの運動制御は非常に複雑です。というのは、結果がエンジンの動きだけでなく、その他多くの制御できない要因に左右されるからです。エンジンがまったく同じ力を一〇回繰り返して発揮したとしても、一〇回ともまったく異なる運動が引き起こされることすらあります。このようなシステムの制御は、感覚器が継続的にシステムを監視してはじめて可能になります。その場合でも、制御にはかなりの巧みさが要求されます。ここでも再び、自然が冗長な自由度を克服して多くの自由度を共存させたときに用いたのと同じ原理、つまり感覚信号にもとづく運動制御の原理が、私たちを救う原理となります。

 第三の複雑さ、つまり筋の弾性は、先に挙げた二つの複雑さと本質的にかなり似ています。力が同一でも試行が異なれば運動も異なってしまうという事実は、身体が強制運転によって運動しているわけではないこと、すなわち冗長な自由度をもっていることを示しています。

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ベルンシュタインは、筋の弾性の問題も、感覚信号にもとづく運動制御の原理で克服している、としています。

ここでは、筋肉の収縮をできるだけ抑えて動くことが目標なので、筋肉のことをより詳しく知る必要があります。

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というやつです。

(筋肉は敵ではありませんが。)

筋肉についてはまた別の記事で集中的に取り上げていきます。

この記事のまとめ

◆筋肉は弾力がある。

◆筋肉は収縮するエンジンである。

◆筋肉は柔らかいため、引くことしかできない。

◆筋肉の引く力は不安定で、正確ではなく、そのうえ弾性をもっている。

◆筋肉は主に動作する筋肉(主動作筋)と拮抗する筋肉(拮抗筋)が対となっている。

◆筋の弾性の問題も、感覚信号にもとづく運動制御の原理で克服している。
◆出力される力が変化するためにできる自由度(筋の弾性から=ダイナミック)と、身体の動きからくる自由度(関節が動くことから身体が動く=キネマティック)がある。

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ベルンシュタイン II 運動の制御について(5)

冗長な自由度をどのように克服するか

 自由度2の機械を作ることができるようになったのは20世紀になってからのことです。

 しかし、人間の身体には数百もの自由度が散在しています。

 この途方もない豊かさを無秩序の入り口にすることなく、しっかり支配し必要に応じて使いこなすためには、そろらく一つ一つの自由度をお目付役の感覚系によって手なづけ、手綱で操る必要があります。

 動かすことのできる関節が数多くあればそれによって制御は複雑になりますが、第2の困難に比べればごく些細な問題でしかありません。

 その困難とは、私たちの身体を覆い尽くす膨大な自由度の冗長性から生じる問題です。

 非常に複雑な生理学的システム上に成り立っている健康な器官の動きは、正常な機能を停止するときにやっと科学者の注意を惹きます。

 残念なことに、私たちの心理はそのようなものを見逃してしまう傾向があります。

 私たちは、日常生活における生理学的システムの重要性を、機能不全による破滅的な結果を観察することではじめて理解します。

私たちのような難病患者は、生体のシステムとしての機能がうまく働いてくれません。

私の病気の場合は、血管と神経(痛み)、筋-骨格系の問題が顕わになっています。

逆に言えば、私の状態が改善されれば、それは筋肉などにとって非常に負担がかかっていない、ということも同時に示しています。

ベルンシュタインは脊髄の病気について触れていますが、省略します。

視覚は、失われた筋-関節感覚をあるていど肩代わりし、以前に議論した「感覚器」の役割を担うことができます。

しかし、視覚と筋-関節感覚とでは特性が違うため、視覚は非常に貧困な仕事しかできません。

身体が健康であるときには、感覚器はこのような問題に対して明らかに十分な補償をしてくれます。

では、自由度1の方がいいじゃないか、という話になるかもしれませんが、自由度が高いことには有利な点があります。

一方、膨大な数の冗長な自由度は明らかにかなりの利益をもたらしてくれます。

人間の手によって作られた道具の例を考えてみましょう。多くの場合、より柔軟な道具はそれだけ使いこなすのが難しいですが、柔軟であることは疑いなく有利であり、よい結果をもたらしてくれます。経験豊富な職人はいつでも、簡単に使えはするものの同時に制約の多い道具よりも、より自由度の大きい道具、すなわち横木や支柱の少ない道具のほうを好むでしょう。

楽器でいえば、バラライカのような比較的単純な弦楽器にはフレットがついており、初心者の音程がはずれないようにしていることは興味深いことです。同じ弦楽器でも、より洗練されているバイオリンにはフレット(各音の目印となるもの)がありません。名演奏家は、フレットつきのバイオリンなど決して使おうとしないでしょう。達人は余計な「松葉杖」など必要ありません。というのは、自分の聴覚、つまり冗長な自由度を克服する基本的で信頼できる方法を常に示してくれる感覚器に全幅の信頼をおいているからです。

ここまでみてきたように、自然は同じ筋道をたどります。つまり運動器から支柱を外し、自由度を惜しみなく分け与える、という方向に進むのです。自然は間違ったことをしません。運動制御とて例外ではありません。

自由に動く方が微調整がききます。

定規をつかって線を引くと、まっすぐに線は引けますが、それだけを使ってモナリザみたいな名画は描けません。

自由度が高ければそれだけ制御が難しいですが、そのぶん恩恵が得られます。

私たちのご先祖様はそうして現在の繁栄を築き上げてきました。

ご先祖様については後の記事で。

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この記事のまとめ

◆冗長な自由度を克服するためには、基本的で信頼できる方法を常に示してくれる感覚器に全幅の信頼をおくことで可能になる。

◆健康ならば自由度の高さは有効に働かせることができる。

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ベルンシュタイン II 運動の制御について(4)

自由度2および3とは?

自由度1は1本の線だとすると、自由度2は平面、つまり2次元です。

ペンで紙に線を引くとき、どんな変てこな形を描こうとも、ペン先が紙から離れたり紙が破れたりしない限り自由度が二から大きくなることはありません。

それゆえ、自由度一から自由度二への転換は、ただ一つの正確に決められた筋道や軌道から、自由で無限の多様性をもつ筋道への質的飛躍を意味します。

レールの上しか走れない汽車の時代から、みんなが自家用車をもって、平たい地面の上ならどこでも走れるようになった、と考えると分かりやすいかもしれません。

泳いだり潜ったり走ったりできる人間の手足というのは凄いものです。

空は飛べませんけれど。

それでも走り幅跳びで9Mに迫ろうとしていますから、ジャンプ力も動物の中では上位に入ります。

道具を使うなら空を飛べますし、ロケットを造って宇宙にいけるのも人間だけです。

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身体の一部分や機械の一要素が自由度三をもつとき、これらは限られた部分空間内で任意に動きまわることができます(たとえば、腕を自由にしたときの指先の動きがそうです)。

幾何学の法則にしたがって、完全な自由点、たとえば空中の雪片も三をこえる自由度をもちえません。

実在する点にとって自由度三は、その点が事実上到達できる部分空間内であれば自由に動けることを意味しています。

一般にはあまり知られていないことですが、この事実が、たった一つの自由度しかもたない強制的な動作と二つあるいは三つの自由度をもつ動きとのあいだに深い溝をつくり出し、技術者たちがなぜ強制運転以上のことを避けようとしているかを説明しています。

 人間は、多様な軌道の中から一つを選択することができ、ある状況下で最も適当な軌道を選択した理由を説明することができます。

しかし、機械に選択させることができるでしょうか?

自動選択の可能な機械(たとえば、さまざまな選別機や品質管理器)が今なお増え続けていることに注目することは重要です。

自由度3については、数学ででてくるx軸、y軸、z軸を思い浮かべればよいです。

要するに3次元ですね。

2次元が一般的な平面とすると、3次元は一般的な空間です。

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自由度が2以上の機械はどうやって動いているのかというと、どの道筋を選ぶのかを決めるための、感覚器が備わっています。

これはOK、これは違う、と分ける能力です。

これをずっと続けておかないと、自由度1でない限り、求める軌道で動いてくれる保証がないのです。

まず第一に重要な点は、この種の機械にはみな、選択のために何かを読みとる感覚器が備わっている点です。

第二に、ごくわずかな例外を除いて、この機械はごく少数の区別しかできません。

したがって、これらの機械は二つの自由度しかもたない。つまり無限の選択肢を備えていない。

二つの自由度を前提として絶え間ない選択をします。

筋道の選択が、絶え間ない監視にもとづくときに限り実行可能になることを示しています

動作が、状況を見守る「感覚器」の命令にそって進行されます。

ベルンシュタインは自由度2をもつ唯一の機械の例として、羅針盤と連動した舵をもった船を例に挙げています。

自由度2をもつ船が、海上を羅針盤によって決められた航路を自動的に進みます。

この場合、感覚器が羅針盤です。

この記事のまとめ

◆自由度1は決まった一つの軌道しか取ることができない。

◆自由度2は限られた部分的ナ平面上で自由に動けることを意味している。

◆自由度3は限られた部分的な空間内で自由に動けることを意味している。

◆自由度1と自由度2以上には質的な飛躍がある。

◆自由度2以上の機械が動く時、筋道の選択が、絶え間ない監視にもとづくときに限り実行可能になる。

◆人の身体には何百もの自由度が存在している。

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ベルンシュタイン II 運動の制御について(3)

「自由度」の概念

運動制御はなぜ難しいか

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運動制御が難しいのは、以下の3つの理由からである、とベルンシュタインは述べています。

(1)注意の限界

複雑な動作の要素一つ一つに注意を向け、個別に制御するとしたら、莫大な注意を配分しなければならなくなる。

(2)骨格‐関節‐筋系の持つ「自由度」と膨大な自由度から生じる「冗長性」

 身体は限りなく豊かで、手足には何百もの自由度が散在し、運動器には無限の自由度が潜んでいる。感覚器が動作を絶え間なく厳密に制御してはじめて明確な軌道の選択が可能になる。また、冗長性は熟達により柔軟性と操作性と安定性をもたらす。

3)「筋の弾性特性」

 人間のエンジンにあたる横紋筋は、筋線維が仕事をする方向は一つだけで、その柔軟性のために押すことではなく引くことしかできない。引く力は不安定で、正確ではない。筋力による弾性抵抗が発生する。このシステムの制御は、感覚器が継続的にシステムを監視してはじめて可能になる。

(1)については、運動というものが複雑である、という話は前の記事で書きました。

これをすべて意識して行うと、それは大変なことになることは想像ができると思います。

どこどこがこういうふうに動くから、と全部口で説明しながら動いている、と考えてみてください。

(2)は(1)よりもずっと重要である、とベルンシュタインは述べています。

 私たちは体肢と頭にある装置だけでも100近くの動き(自由度)を備えています。

自由度とは何かというと、用語としては「あるシステムの状態を決定づける変数の中で、互いに独立に変化しうる変数の数」のことです。

・・・なんのこっちゃ、という人のためにベルンシュタインは分かりやすく解説してくれています。

 人間が継続的に制御しなくても働く自動的な機械を自動機械といいます。

 自動機械の多くは、たった一つの自由度しかもっていません。

技術用語でいうと、強制運転しかできません。

どの部分でも、あらかじめ決められた軌道からは決して外れません。

そのため、みかけと構造はきわめて複雑ながら、この機械は最も単純な可動性しかもたないのです。

二つの自由度以上をもつ部品を備えた自動機械はめったにありません。

ベルンシュタインは例として新聞を印刷する巨大な印刷機を挙げています。

現代風に置き換えるなら、パソコンのプリンタですね。

試しにプリンタのカバーを開けてみましょう。

歯車やインクがあって、忙しく機械が動いています。

すべての部品が強制運転される機械では、どの部品もまったく同一の変更不可能な軌道をたどります。

たとえ、部品の一つが二つの自由度をもつように設定されていたとしても、それが複数の軌道をたどることはありえません。

この特殊な部品ができることは、表面、たとえば平らな表面や球体の表面を動きまわることだけです。

いかなる道筋や軌道も表面から離れないという制限の下でたどりうるにすぎないということが重要です。

プリンタに紙をセットします。

ボタンを押します。

印刷された紙が出てきます。

もし紙がずれてしまうと、紙がつまったり、インクがちゃんと紙に印刷されなかったりします。

決まった筋道を紙が通過してきてはじめて印刷できる、というわけです。

ちなみに現代では多自由度をもつロボットがあるそうです。

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ベルンシュタイン II 運動の制御について(2)

顔もみてみましょう。

一番重要なのは、眼です。

眼も筋肉で動いています。

眼の筋肉は、細かいものがたくさん付いています。

人間の視覚器は以下のものを含みます。

a)物体を追跡するとき、眼球を目標方向にうまく回転させる六対の筋、

b)レンズと、角膜を制御する二対の筋(写真用語でいうと、これら二対の筋は眼の焦点をあわせる仕事をする)、

c)瞳孔の拡大および収縮を制御する非常に細くて弱い二対の筋(再び写真用語でいうと、これらの筋は、風景の明るさにあわせて対物レンズの絞りを調節する)、

d)まぶたの開閉を行う二対の筋。これら二四もの筋は朝早くから夜遅くまで精密に協応しつつ働いています。

注目すべきは、それらが完全に意識されずに働いており、働きのうち75パーセントまでが随意的な制御なしに進行することです。

三分の一の筋(b、cで述べた筋)は、働きを随意的に変えることができません。

眼の動きは3/4くらいは自分で意識せずに動いています。

この「意識せず」動いているのは、そう動くように組織として組み上げられているからです。

眼によるこのような共同作業(生理学ではシナジーという)は、非常に複雑で重要な責任を担っています。

ロシアの生理学者であるI・M・セチェノフによると、私たちは眼でただ見ているのではなく、見つめているのです。事実、視覚の活動はどこまでも能動的です。興味をもった対象を眼で探し、網膜の中で最も感受性が高く鮮明に写る部位にイメージを投影することによって追跡します。それから眼筋の緊張具合によって対象との距離を測ります。あたかも見えない触手が眼から対象に伸びているかのように(そう古代の科学者は考えていた)、対象を走査し、凝視して「感じ」ています。

見つめる過程において、両眼は、

a)動く対象を追っていかなる方向にも動き、

b)互いに並行して、あるいはゆっくりと開散輻輳しながらよく協応して動き、

c)対象の二重化を防ぎ、対象との距離を評定するために輻輳し(立体視)、

d)同時に角膜の焦点を合わせながら、

e)また同時に瞳孔の大きさを調節して網膜の神経細胞に対して画像が最も鮮明になるようちょうどよい量の光を提供し、

f)すでに述べたように、能動的に対象を走査して感じ、たとえば本を行にそって読み進めています。

これらの運動はすべて同時に調和して起こり、お互い混乱することがありません。よく自動化されているが、機械的ではありません。融通のきかないマニュアルどおりに起こるのではなく高度に発達した巧みな調整によって行われています。

以上のように、とても複雑な動きが、意識されることなく働いています。

何気ない動きを文章にすると、とても長くなります。

それだけ複雑である、ということができます。

眼についていくつか付け足しておきますと、眼からの情報(視覚情報)は外部から得られる情報の70%を担っている、と言われています。

そして、眼球は3つの層(強膜・脈絡膜・網膜)で覆われていますが、この3つの層は脳のつづきになっています。

実は、眼は脳の一部です。

(参考図書:三木成夫『生命形態学序説 ―根源形象とメタモルフォーゼ―』p166)

この記事のまとめ

◆複雑な運動は、自分が意識せずとも動いている場合がある。

歳を取ってきて眼や耳が悪くなってくると、映像や音楽を楽しめないな、と感じます。
高級なTVやスピーカーがあっても、自分の身体が悪いと意味がないですね。
もっぱらパソコンに何千円かのスピーカー繋げて満足してますけれど。
眼なんかはやはり光の量や姿勢などが深く関わってくると思います。
小さいうちから習慣付けておきたかったなと思います。
小さい頃は、まさかこんな情報化時代がくるとは思ってみませんでしたけれどね。

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眼は超高機能なカメラ!?

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ベルンシュタイン II 運動の制御について(1)

ヒトは動きのレパートリーがとっても多い

 運動の制御は、生理学の分野では「運動の協応」と呼ばれたりします。
 運動というのは、実は多くの生理的機構が組織的に参加してはじめて成し遂げられる、とても複雑な仕事です。

栄養をとって、酸素を吸って、それを体中に送って、正しいタイミングで筋肉を収縮させて、老廃物と二酸化炭素を身体から排出して、・・・などの一連の複雑な生理的機構が働いて、やっとヒトは活動できます。

ついでに生理学についてちょっと触れておきます。
生理学というのは、生体の機能を研究する学問です。
個体がどのようにして、種々の活動を行うか:いかに食べ物を食べ、動き、環境の変化に適応し、新しい世代を生むか、という問題を扱っています。
生理学は、生物の活動が物理学と化学の法則に従う、という知見にもとづいています。
(参考図書:『オックスフォード生理学』p1.)

複雑なものがとどこおりなく展開していくには、組織化が必要となってきます。
活動のたびに一からすべて組み上げなおしていたら、とても大変ですよね。
前に同じことをしているヒトがいたら、引継ぎをして同じような働きをしてもらうと、組織としては上手く回っていきます。

 さて、運動の組織化はなぜ複雑なのでしょうか。
 何が私たちの身体の運動制御を複雑にしているのでしょうか。

 ヒトの運動器(運動の機能を持つ器官)は、骨格-関節-筋系と呼ばれています。
 動きはとても多彩です。
 身体を支えるおもな構造は、首と体幹です。
 これは要するに、25の椎骨間のリンクとそれに関連した筋を備えた脊柱のことです。
 椎骨というのは、背骨の1つ1つのことを指します。

 多関節のレバーシステム〔梃子の原理を利用した骨格システム〕である4本の手足は、多様な動きを可能にする球関節を介して体幹に繋がっています。

多関節というのは、例えば肩(肩甲骨)と上腕と前腕の3つの骨と2つの関節をひとくくりに見たときの表現です。
これに対して単関節というのは、通常2つの骨と1つの関節をひとくくりに見たときに使います。
梃子(てこ)というのは、支点作用点力点を備えた、棒状のものの運動のことです。
球関節というのは、骨が繋がっている面が丸い球状(ボールのような)形をした関節、という意味です。
肩甲骨というのは、背中側にある平べったい骨で、「天使の羽」なんて言われたりします。
この肩の多関節筋で有名なのは、上腕二頭筋という筋肉です。
いわゆる肘を曲げると力コブができる筋肉ですね。

上肢(腕)は、動きの融通が利くように、緩く体幹に繋がっています。
肩甲骨は、骨の繋がりだけで言うと、胸の上にある鎖骨を通して、胸骨という小さな部分でやっと体幹に繋がっています。
背中側は筋肉でしか繋がっていません。

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 ヒトの腕のリンク構造自体は、他の四つ足の動物と対して違いはありません。
 リンクとは連結、つながりを意味しています。
 しかし、球関節は、ずっと多様な動きを可能にしています。
 人間の腕は横にも大きく動かせますが、犬や馬ではそうはいきません。
 また、前腕を表に向けたり裏に向けたりする(回外と回内といいます)ことができるのは、ヒトとサルだけです。

 しっかり固定されたハンドルや出っ張りを握ってみましょう。
 それらがどんな形であっても、どんな方向に伸びていても掴むことができます。
 また、その状態でもまだ肘を動かすことができます。
 つまり、体幹や肩甲骨を動かさずに、肩と前腕の向きを変えることができます。
 また、手のひらには、12個も動く小さな骨が集まっています。
 親指と他の指を向かい合わせにする能力(母指対立といいます)も、ヒトとサルにしかできません。

四つ足動物には、実は鎖骨という骨がありません。
また機会があればもうちょっと突っ込んだ話も書いていきます。

この記事のまとめ
◆運動はよく観察すると、とても複雑である。
◆運動が複雑なのは、運動に関わる器官である運動器(骨・関節・筋肉)がたくさん繋がっていて、それがそれぞれにいろんな方向に曲げれるように造られているからである。

次の記事は眼についてです。

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