ベルンシュタイン I

ベルンシュタイン I 巧みさとは何か(2)

ベルンシュタインはいくつかの例え話を用いて、巧みさとはこういうものです、と説明しています。

チベットの神話などの話がありますが、短い話で行きます。

 大祖国戦争(第二次世界大戦)の初期、わが国(ソ連のこと)の偵察騎兵部隊が大勢のドイツ軍に包囲されたことがあります。

 状況は非常に緊迫していて、包囲網を破ることは困難をきわめました。

 騎兵の中にサーカスの曲乗り師がいました。第一陣の銃撃を浴びると、彼は鞍からよろけ落ち、頭が地面からすれすれになるくらい馬からぶら下がっていました。ドイツ兵は、彼が殺され何かのはずみで鐙に足が絡まっているのだろうと思いました。ドイツ兵は曲乗り師と彼を警戒しなくなり、その隙に馬は死体をぶら下げて包囲網を横切りました。しかし曲乗り師はかすり傷一つ負っていなかったのです。馬も、言葉で命令されなくとも曲乗り師の意図をきちんと理解していました。死んだふりをしながら曲乗り師は敵陣まで馬を操っていき、無傷で戻ったばかりでなく、重要な戦況情報をもち帰えりました。偵察がうまく完了したとたん、曲乗り師は鞍に起きあがり、まんまと無事に帰ってきたのでした。

次にロシア語からみた「巧みさ」という言葉の語源について説明があります。

 巧みさは「猟る」という語源からの派生語です。時が経つと言葉の意味は広がりました。

 巧みさは今日でも人間のすばやさ、敏捷性、柔軟性、スキルの高さを示しています。

 最も厳密な定義は、V・ダーリの定義です。ダーリは巧みさを「動作の調和」と考えました。動作の調和は、跳んだり、自転車か何かに乗ったり、走ったりするときにもあてはめられます。腕や脚や体幹(胴体のこと)のそれぞれの動作を調和させ、全体として一つの動作へとまとめあげ、望んだ結果をもたらすこと、それが巧みさです。

ところが、ベルンシュタインは引用を終えたあとに、ダーリの定義には賛成しかねる、と述べています。

ベルンシュタインは、巧みさの定義にかなり知的な機転までをも想定しています。

運動する状況によって、より複雑な運動課題を解かなければならなくなったり、ときにはまったく新しい課題を運動の機転によって解決することが必要になります。

床を歩くのに巧みさは必要ないが、一方で綱渡りはとても難しく、このときには巧みさが必要となります。

私たちのような難病患者は、歩くという動作そのものが難しい、という課題に直面しています。

ですから、ここではベルンシュタインがいう「巧みさ」の概念を取り入れつつ、「歩く」、「移動する」、という基礎的な動作について追求していきます。

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運動課題が複雑で単純には解決できず、巧みさを必要とする場合、私たちは工夫するという言葉を使います。

筋力では解決できない課題では、策略が役に立ちます。

運動スキルを習得し、それをもとに複雑な運動課題を成し遂げたとき、熟達したといいます。

運動の創造や調節が必要な場面ではいつも、目の前の課題に対する運動の調整が生じます。

ちょっと運動と動作と行為について書いておきます。

運動は英語でmovementと言います。身体の部分の空間的位置の時間的変化のことです。

要するに、時間が経つに従って、身体の一部分がどのくらい動くのか、ということです。

動作は英語でmotionと言います。

行為は英語でactionと言います。

動作と行為は、運動によって達成される結果、あるいは運動の向けた目標で定められます。

階層的に書くと、

認知(社会文化的) 行為

知覚(心理的)    動作

             運動

感覚(物理的)    反射

             筋

             運動単位

こんな感じです。運動単位などについては、あとで触れられたら触れます。

例えば、「太ももと膝とふくらはぎがこれくらい運動して、歩くという動作になる」といった感じですね。

(参考図書『基礎運動学』p129-132)

でもあんまり厳密には使ってないような印象です。

ここで目指すのは、「運動の調整」であり、筋力では解決できないために「運動の策略(戦略)」を変えることです。

キーワードは、運動の「調整」「制御」「調和」といったものが拾えます。

次のお話は、運動の制御についてです。

この記事のまとめ

◆運動を調整し、制御し、調和させる。

◆筋力で解決できない時は、運動のやり方を変える。

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ベルンシュタイン I 巧みさとは何か(1)

心理物理学的能力

ベルンシュタインは、ココロとカラダの合わせた能力(心理物理学的能力)を4つ紹介しています。

その4つとは、

力強さ

スピード

持久力

巧みさ

です。

力強さは、実質的には純粋に身体の物理的な特性で、筋の太さや種類に直接左右され、他の要因からは二次的な影響しか受けません。

要するにがっちりした筋肉の多い人ほど力持ちだよ、ということです。

スピードは、力強さより複雑で、カラダの状態とココロの状態の影響を受ける(生理学的な要素と心理学的な要素を併せ持つ)。

例えばガチガチに緊張していると、スピードは遅くなってしまいます。

持久力は力強さとスピードよりももっと複雑で、カラダのあらゆる下位システムおよび組織が関係します。

作業に直接関わる骨と筋肉、栄養や酸素、老廃物を運ぶ運搬系、消化し栄養を供給する供給器官、自分の意図と制御を担う中枢器官(脳や脊髄など)が関与します。

1に必要な時に消費するエネルギーの十分な蓄えを持っていること、

2にここぞという必要な時にエネルギーを供給できること、

3にエネルギーの無駄づかいを控え、できる限り持たせること

としています。

要するに、持久力とは、「潤沢な資金を持ち、出し惜しみも無駄使いもしない」という能力です。

巧みさについては以下に書き出します。

巧みさとは、この力強さ、スピード、持久力とは異なります。

巧みさとは、制御の機能であり、実現には中枢神経系が一番大きな役割を果たします。

巧みさとは、他の能力に比べて、より柔軟で汎用的(色々な場面で使えます)。

巧みさは、運動の巧みさは普遍で、万能な能力です。

巧みさは、誰もがそれを手に入れられるものです。

巧みさは、生まれつき決まっているものではありません。

巧みさは、練習によって向上させることができ、誰でもそれを相当に発達させ、発展させることができます。

巧みさには、長い脚や厚い胸板も必要ありません。

巧みさは、人並みの体格をもち、人並みに健康であれば十分です。

巧みさは、力強さや持久力などのような身体能力そのものではありません。

巧みさは、生活していく中での行為や動作経験の蓄積です。

巧みさは、歳をとるにつれて向上することが多く、他の心理物理学的な能力よりずっと長い間保持されます。

巧みさは、人それぞれ質的に異なり、個人に備わります。

巧みさという心理物理学的な能力に、いまだに定量的な測定単位がないのはこのためです。

巧みさとは、運動の巧みさはある種の「運動の機転」です。

巧みさとは、複雑な運動課題を、あっという間に、しかも首尾よく解決する能力です。

巧みさとは、あらゆる状況ならびにあらゆる条件下において解決策となる運動を見つけることです。

巧みさが必要になるどうかは動作の種類によって決まるのではなく、動作を取り囲む条件によって決まります。

人並みに健康でないことが病人の問題ですが、それは「巧みさ」で克服しましょう。

単純に力任せに力を出すことは、簡単なことです。

力を上手くコントロールして、素早く、効率的に、動作を遂行していくことは、それよりも難しいことです。

力強さ自体には、生まれ持った資質が深く関与します。

スポーツ選手になれる人というのは、この力強さの点で秀でている人が多いです。

私たちのような先天性の難病患者は、スポーツ選手になるわけではないので、そういうことは必要最低限あればよいです。

この記事をまとめると、次のようなものがみえてきます。

◆力強さよりもスピードが、スピードよりも持久力が、持久力よりも巧みさが複雑である。

◆複雑さが増すにしたがって、制御が必要になる。

のちの記事で述べますが、制御は生物の進化、特に脳(中枢神経)の進化に深く関わってきます。

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