『脳を知る・創る・守る・育む』 その9
ここでは複雑系とコンピュータの話です。SFなどで脳をコピーして、という話が出てきますが、どうも無理なようです。人の脳のつくり出す知能に、人間が造り出したコンピュータの能力が含まれるのは面白いと思います。
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中島 秀之
人工知能はどこまで脳に迫れるか
人工知能を研究している関係で、まず、知能をどのようにとらえているかについて簡単に説明します。次に、最近話題になっている複雑系と知能の関係について述べ、後半で人間と計算機を比較してみます。内容は、コンピュータで知能をつくるというソフトウエアが中心になりますが、最初に少しだけハードウエアについて比較することにします。
人工知能とは
基本的にコンピュータと脳は違います(表1)。もっとも大きな違いは、複雑さです。コンピュータ一台と脳一個を比べることはできません。コンピュータ一台と神経細胞一個を比べても、神経細胞のほうが複雑かもしれません。人間の脳を現在の計算機で実現しようと、世界中の計算機をすべてもってきて、それをつないだ地球規模のネットワークを構築しても、人間一人分の知能をのせることができるかどうかというほどです。その意味で、世界中の計算機をすべてかき集め、すべての研究者がかかりっきりになって何らかのプロジェクトを組織すれば脳に少しは迫れるかもしれませんが、計算機一〇台や二〇台をつないだネットワーク程度では、とても脳には太刀打ちできません。
表1
コンピュータ 脳
デジタル アナログ?
高速 低速
(ソフトで対応?) 可塑性
大きい 小さい(分子レベル)
ネットワーク 豊富なI/O
外部記憶
コピー可能 個別の情報表現?
そのような世界で、人工知能として何を研究するのかが問題になります。この人工知能について、よくいわれる定義が二つあります。一つは、知能とは何かということを研究する分野であるというものです。もう一つは、コンピュータに知的処理を行わせる分野であるというものです。しいていうなら、前者は科学的興味、後者は工学的興味に近いわけですが、知能や知的振舞いをつくることにおいて、両者は車の両輪のような関係です。例えば、知能の仕組みを解明するような立場をとるときにも、計算機があって初めて生まれてくる分野が、人工知能です。
知能とは
知能という用語も、未定義です。極端な話、知能とはこれこれこういう機能であると定義できるようになると、ある程度、知能が解明できたことになります。その意味で、未定義用語のまま使っていますが、かといって、人によっていろいろな思いいれがあるため、ここで少し分類しておくと表2のようになります。
表2 知能の分類
アメーバの知能
外界に反応し、自己を保存する能力
昆虫の知能
アメーバの知能+環境を自己に有利に変更する能力
イヌの知能
昆虫の知能+学習能力
コンピュータの知能
抽象的記号操作を行う能力
人間の知能
以上のすべて+a
アメーバは外界に反応して、自己を保持する能力をもっています。食べ物のあるほうに移動したり、自分で食べ物を食べる能力をもっており、種の保存、自己の保存を行います。これが私どもの考える最低限の知能です。
そして、昆虫は基本的に巣をつくったりするため、環境に働きかけて自己に有利なように変更する能力をもっています。その分アメーバより高い知能をもっています。さらにイヌになると、昆虫の知能の上に学習能力が備わるようになります。このあたりから脳の機能になると思いますが、例えば、昆虫が巣をつくる能力は、おそらく遺伝子にプログラムされており、それをプレイバックしているだけと考えられますが、サルやチンパンジーといった類人猿になると、仲間が新しい発見をすると、それをみて学習し、自分の生きているうちに行動を変化させるような能力を備えています。
それに対して、コンピュータは、これまで述べたようなことを抽象的な記号として操作する能力をもっています。チンパンジーが簡単な言葉を学んだり、数を扱える能力が少しあることは示されていますが、われわれが話す日本語や英語、数学記号、数式などの複雑な記号処理の能力はもちあわせていません。しかし、コンピュータは記号処理だけをとりだせば人間と同等、数式処理においては人間より優れています。
最後に、人間の知能は、それらの総合というか、すべてをもちあわせ、さらにプラスアルファがあるかもしれません。人工知能とは、人間を目標にしつつ、コンピュータの上で主に記号処理を行うことである、と定義することができます。
複雑系としての知能
最近、複雑系というキーワードをあちらこちらで問きます。計算機を扱っている身としては感慨深い言葉です。複雑系がいいだされたのは、もともとは物理学の世界です。物理学は、人工知能とは逆に、分析的な方法論をもつ典型的な学問で、世の中の複雑な現象を単純化していきます。例えば、万有引力の法則であれば、ほかの要素をすべてとりさり、重力パラメータだけを考えるという単純な世界です。どのような単純な法則が成り立っているのかを分析していくのが、これまでの物理学あるいは自然科学の典型的な方法論です。複雑系はそのような方法論で扱えないような世界があるということの発見です。
これまでの分析的な方法によれば、天気予報にしても、台風の進路予測にしても、どんどん精度をよくしていけば、最終的には完全に予測できるということを前提にしています。しかし、最近のカオスの研究などで明らかになっていることは、いくら精密に分析しても、近似であるかぎり、その誤差が無限に大きくなる世界があるということです。台風の進路予測にしても、一秒後や一時間後では、それほど違わないかもしれませんが、数日後の予測を完全にすることは原理的にできないという見方です。これまでの分析的な方法論では理解できない世界があるかもしれないということで、複雑系が注目されています。
そして、複雑なシステム(脳)をつくって、それがどうなるかを調べようではないかという構成論的な立場が、人工知能です。対象としている脳、知能が複雑で、その知能が扱う対象(世界)も複雑です。また、そのような対象と知能との相互作用で生じる行動も複雑です。それぞれある意味で独立した概念ですが、システムはすごく複雑でも行動が非常に単純な場合もあります。ロジスティック関数という単純な数式の値を追求していくと、それがカオスとなります。時計の振り子のような単純な運動でも、その振り子を二つつなげたものを振るとカオスになります。このように、単純なシステムが複雑な行動をとることもあるわけです。ここで私どもの興味は、複雑なシステムを、どうやってつくっていくかという点と、そのようなシステムが複雑な世の中を、いかにして処理していくのかという二点にあります。
人工知能からみた複雑系の定義
その意味で、私どもからみた複雑系は図1のようになります。
スケールに厚いシステム
(システムが複雑)
層間相互作用→設計不能
多重犯発
図1 スケールに厚いシステムとしての複雑系
縦幅はスケールで、横幅はその対象物にどれくらい意味を読みとるかを表しています。その意味は、対象物に内在した性質ではありません。われわれ人間がそれをみたとき、どれくらい有用だと思うかということです。
このことを説明する前に、例を紹介します。複雑なものとして自然界に存在する木を、単純なものとしてゼムクリップ(紙どめ)を考えてみます(図2)。木とゼムクリップとの大きな違いは、スケールにおける意味です。例えば、木の構造を理解したり、人工的な木をつくろうとしたとき、どれくらいのことを知らなければならないかということです。木は生物であるため、DNAや分子をもち、一番下に分子の構造があり、その上に蛋白質の構造があって、蛋白質が細胞をつくり、細胞がまとまって葉や幹になります。分子レベルはオングストロームのスケールであり、細胞はミリメートル、木の枝ぶりの構造や葉の形状はセンチメートルからメートルというレベルです。それぞれのスケールで別々の意味をもっています。どこかで達うものにすると、それは木ではなくなってしまいます。ヒトも同じです。蛋白質レベルから細胞レベル、筋肉の組織、骨格、体全体と、いろいろなところで記述して理解しなければならないシステムです。
それに対して、ゼムクリップのような人工物は、一ヵ所かニカ所ほど理解すればことは足ります。形状と、どこに紙が挟まるかといった以外に、摩擦がどれくらいかといった二ヵ所ほどの記述でわかるため、単純なシステムということができます。すなわち、さまざまなスケールで異なった意味があるのが複雑なシステムです。しかも、スケールの各層は下の層に還元することができません。これがまた最近の新しい見方です。昔の物理学的な意昧での還元主義では、分子や原子の構造さえわかれば世の中のすべてのことがわかるのに対して、生物学などでは原子の構造を理解し、細胞の構造も理解する必要があるということがいわれてきました。そのため、いろいろなレベルを記述する必要があり、理解しなければなりません。しかも、その層間に何らかの相互作用があります。これは物理的にみるとたいへん不思議です。構成要素と全体の間に相互作用があるというのはどういうことなのかを、じっくり考える必要があります。
服属アーキテクチャ
ところで、振舞いなどはシミュレーションしないとわかりません。構造を使って、それを分析しても、どのようなものであるかを知ることができません。プログラムをつぐって、それを動かしてみなければわかりません。ただ、複雑だといっているだけではお手上げです。私どもは何かをつくっていかなければなりません。それをどうやってつくるかが問題です。
これに関して、ロボツトの世界で有名になっている方式があります(図3)。従来の方式では、情報は入口から出口に流れ、途中で何層も直列にAをやってBをやって、Cをやってという手順で処理していました それに対して、いろいろな層で同時平行的に処理して、それらの層間の相互作用で最終的な出力をきめるのが最近の服属方式です。脳は複雑すぎてとても手が及びませんが、この服属方式を使って生物のように有機的なプログラミングシステムを考えています。図4に示すような層を多数つくり、層間の相互作用で全体のプログラムを構築することを「協調アーキテクチヤ」というプロジェクトで検討してきました。基本的には、計算機のプロセスが多数あって、その下にプログラムが階層を形成しており、各層に対応するプログラムがあり、外界からの情報が並列的に処理されるようなシステムを考えています。このシステムの一つの特徴は、部品を集めてきて一個のプログラムになって動作しているとき、自分の部品を取り替えることができるということです(図5)。私どもはコンテクストリフレクション(文脈反映計算)と呼んでいますが、プログラムのコンテクスト(文脈)を自分で取り替えることによってプログラムの意味をかえたり、動作がかわる自己反映的な計算を行うシステムになっています。これが生物などがもっている柔軟性の根本だと思います。
生物のプログラムは遺伝子に書かれており、われわれの細胞はすべて同じ遺伝子をもっています。それが、ある部分は皮膚になり、ある部分は筋肉になるような機能分化を起こします。それに対して、私どもが考えたシステムでは、コンテクストと環境との相互作用で働きがかわるようにすることを、プログラムの世界で実現するようにしています。それにより、最初のプロセスに単純なプログラムだけを与えて動かすと、何か別のプログラムを連れてくるようになります。部品をとってくるようにしてどんどん成長します。あるいは、別のプロセスをつくって複雑な枝分かれをするようになります(図6)。ある意味で植物が育っていくような過程で、実際に育っていくようなプログラミングシステムを構築しています。
ただし、この程度の複雑度だと、とても脳には及びません。もっと複雑なものをつくっていく必要があります。それはこれからの問題です。
人工知能における時間表現
ここで人間に顔を向けてみます。人間はよくできています。普通に動いているときは何か起こっているのかよくわかりませんが、壊れたりするといろいろな側面をみることができます。例え
ば、第二次世界大戦で負傷者が多数でたとき、脳生理が発達したようなものです。システムが壊れたとき、その仕組みの意味がよくわかります。知能の高い人しかかからないといわれる離人症
という疾患がありますが、精神病理の木村敏先生が報告された、ある離人症患者さんの言葉を紹介します。
「時間も同じことなんです。時計をみれば時間がすぎてゆくことはわかるし、今何時何分だということもわかるんだけれど、時間の流れというものが感じられないんです。てんでばらばらでつながりのない無数の今が、今、今、今、今、と無茶苦茶にでてくるだけで、何の規則もまとまりもないんです……」(木村敏著『心の病理を考える』岩波新書、1994)
知識的にはわかるが、感覚がともなわないということです。このことを簡単に体験するには、漢字や文字を一分ほどみているだけですみます。例えば、「時」という字を一分ほどながめていると、明らかに「時」という字だとは理解できますが、どうしても「時」にみえないような状態になります。
このことを人工知能の研究者がみると、現在の人工知能における時間表現は離人症そのものです。時間の断片というか時刻にあたる表現をいっぱいつくって、それを貫いて推論しているため、何時何分に何か起こり、今どうなっているかを推論すれば結論はわかります。しかし、それだと時間が流れていません。何か四次元時空の断片をもっていて、それを扱っているようなものです。そうではなく、もっと時間を感じる、というのは変ですが、われわれが普通に扱っているようなものに近づけることが必要です。時間だけにかぎりません。知能がもっと密接な関連をもったかたちにすることを考えたいわけです。
新たな人工知能
木村さんは離人症の例から世界のとらえ方を「こと」と「もの」に分類されています。「こと」が総合的で、特に東洋的なものの理解のしかたであり、自分が含まれています。それに対して「もの」は、自分と対象を切り離した分析的な働きです。デカルトや物理学がそうだったように、研究者と対象を切り離して、対象だけを客観的に観察する方法です。従来の人工知能も典型的には、システムと切り誰したかたちで世の中を客観的に記述して、それを使って推論しています。われわれはそのようなことをやめて、プログラムと世の中を段階的に切れ目なくつないで、どこまでがシステムで、どこから先が環境かをあまり考えないような表現をとるようにしています。プログラムを自分で取り替えながら環境にどんどん対応した推論あるいは計算をしていくようなシステムにすれば人間に近づくと考えています。
人間や生物のようなシステムを研究する学問として、最初、有機体とかホメオスタシスのような話がでてきました。それから、プリゴジンの散逸構造がでて、最近はオートポイエシスが登場しています。オートポイエシスとは、自分で自分をつくりながら変化していくシステムのことです。プログラムもそのようにしたいわけです。あるプログラミングシステムが次の自分のかたちをきめ、それによって処理していくようなものを目指しています。
ここで大脳と関係づけます(図7)。こじつけ的かもしれませんが、例えば目からはいってきた刺激は視床に伝達され、そこから視覚野に伝えられて処理されます。もう一つ、視床から扁桃体に投射する経路も知られています。視覚野への経路では普通の視覚的な処理を行い、扁桃体への経路では価値の処理というか、刺激が自分にとって心地よいものか避けるべきものなのかといったことを処理しています。
従来のエキスパートシステムやプロダクションシステムなどは、いろいろなIF/THENルールではいってきた情報を多数のifを並べて分析し、その結果、何をすべきかというように処理しています(図8)。それは普通の視覚野経由の処理と同じであるため、別の経路で、少し粗くても、もう少し早い反応をすることを考えています。具体的には、私どもは、図9のように四角い箱をいくつか用意して、そのうちの一個だけを使うようなプログラムを書いておきます。そのようにして、何らかの人力がきたらすぐアクションを起こして、次にどうなるのかをゆっくり考えた結果、そのままでよいかもしれないし、状態がかわるのであればそのプログラムを取り除いて、違ったプログラムをもってくるようにします。前述の自己反映とかオートポイエシスのようなシステムの一つです。
おわりに
ここでお話したシステムを使って、たわいもないことをやっています。脳とはかなり遠いものですが、サッカーをやらせようとしています(図10)。 人工知能の典型的な例題は、これまでチェスでした。時間がたっぷりあり、情報はすべてわかっていて、そのうえでじっくり考えれば勝てるようなことを対象にしていました。しかし、サッカーの場合、球がどんどん動くため、考えている暇がありません。ほかの人がどこにいるのかもわからなくなります。部分情報を時間がないところで早く処理して反応する必要があります。そこで、先はどのようなアーキテクチャを使って、どれぐらい対処できるかを調べているところです。そこで重要なことは、脳やコンピュータというシステムを環境から切り離さないで、つながったままで考えていこうという見方です。素早い(粗い)処理と丁寧な(遅い)処理が必要です。サッカーのような場面では、今自分かどちらの処理をすべきかまでを含めて考える必要があります。それから、構成的なものを科学というかどうかよくわかりませんが、そういうことをやっていかないと脳のような複雑なものには迫れないと考えています。
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