動物と植物
このブログでたびたび引用している三木成夫先生の『生命形態学序説 ―根源形象とメタモルフォーゼ―』からです。
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単細胞生物から多細胞生物が現れました。
生物は栄養をとり、子孫を残すために生殖を繰り返し行います。
その後、生命は2つの大きな幹に枝分かれします。
動物と植物です。
動物と植物はどう違っていったのでしょうか。
まずは栄養の取り方です。
“植物のもつ生まれながらの合成能力が、動物にはまったくない”
ということが、両者の行き方を分けました。
太陽の光のもとで、どこにでもある材料(水、二酸化炭素、無機物)をもとにして、自分ひとりで生命の源をつくりあげます(光合成)。
植物は自然のすべて(地・水・火・風)を最大限に利用するのですが、この時かれらは大空と大地に向かって、まっすぐにそのからだを伸ばす、というきわめて有効でしかも無理のない姿勢をとります。
動物は、居ながらにして、自分だけでからだを養うことができなくなり、ついに大自然の中から、ただ自分の好みにあった“えさ”だけを見つけ(感覚)、それに向かって動く(運動)という新しい仕事をはじめました。
植物は植わったまま「栄養-生殖」を行うことができますが、動物は「感覚-運動」の過程が新たに必要になりました。
18世紀の生物学者ザビエル・ビシヤーは、「栄養-生殖」の過程は植物にもみられることから、これを植物性過程とよび、「感覚-運動」を動物独自のものであるというので、動物性過程とよびました。
「栄養-生殖」に関係した消化、呼吸、血管、脈管、泌尿、生殖の諸器官を植物性器官、「感覚-運動」に関係した感覚、神経、運動の諸器官を動物性器官と名づけました。
人間を含めて動物たちのからだの中には、常に“植物的なもの”と、“動物的なもの”の2つが互いに共存し、前者はいわゆる“ぞうもつ”(内臓)としてからだの奥深くにしまい込まれ、後者はこれの“いれもの”(体壁)となってこれを持ち運ぶようになりました。
動物とは、いわば“胃袋と生殖器”(植物性器官)に、“眼と手足”(動物性器官)がついたもの、ということになります。
そして血管と神経がからだのすみずみにまでいきわたり、それぞれ植物性過程と動物性過程をつかさどるのですが、心臓と脳は実はおのおの一部が極端に発達したものにほかなりません。
われわれ人間の日常生活の中で、ことごとく対立する“こころ”(心情)と“あたま”(精神)は、まさしくこの心臓と脳に由来したものであって、これらはそれぞれ人体における植物的なものと動物的なものの象徴であることがわかってきます。
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私は、植物性が「動かない」=おもり、動物性が「動く」=エンジン、として大まかに考えています。
内臓、肺、心臓、血管、膀胱、生殖器がおもし。
感覚、神経、運動(筋肉、骨)がエンジン。
運動性過程の極端な発達をしている脳は、動かないので重いですね。
そして、一番位置エネルギーが高い頭の中におさまっています。
また、植物性過程の極端な発達をしている心臓ほど、動いていることを物理的に表現している臓器もありません。
心臓は液体である血液を送り出す役目がありますので、動きます。
脳は電気を伝えることが仕事なので、動く必要はありません。
意識と無意識でわけると、脳が意識で心臓が無意識でした。
意識と無意識の間にある呼吸で、重要な筋は横隔膜です。
この筋は、頚の筋の一部が哺乳類になってずり落ちてきたもので、体壁の筋の一部です。
手足の筋と同じなので、敏捷に動きますが疲れやすく、一定の休養を必要とします。
魚の時代はえら呼吸に参加したえらの筋肉は、内臓と同じ平滑筋だったそうです。
動きは鈍いが疲れをしらないものでした。
神経には内臓などに影響を与える自律神経(交感神経と副交感神経)があります。
これは植物性脊髄神経、として分類してあります。
人体というのは、いろいろと工夫してあるものですね。
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